神谷 歴史・文化の会

この度、神谷 歴史・文化の会の高橋区長、小森さん、丸山さんにインタビューをさせていただきました。

高橋区長、小森さん

小森さん(左)、高橋区長(右)

神谷集落センター

神谷区の皆さんは、歴史・文化の会などを立ち上げて高橋九郎さんの様々な功績について、また神谷区の歴史を取り纏め伝えていくなどの、活動をされて来たと聞いています。今回、高橋九郎さんの功績や関連する事について、新たに看板を設置する事業を行ったとの事ですが、そのきっかけや思いをお聞かせ下さい。

小森さん:我々、神谷歴史の会という集まりで、何年か前から地域の昔の写真を集めて、それをカレンダーにするという取り組みを長らくやってきました。その中には高橋九郎さんに関連する内容のものが沢山あったのですが、地域の人達も言い伝えで聞いているだけで、信用組合の話であったり、チューリップの話であったり、そういった事の正確なものを残していかないと伝える人が少なくなって、これからの子供たちの代になると、神谷の歴史のことが全く分からなくなってくる恐れがあると感じました。

ただ、形に残すには費用がかかります。どの様にしようか思案していたところ、今までの地域活動で助成金の対象になる部分があるという事が分かりましたので、これを活用して高橋九郎さんの功績を看板にして後世に残していこうよと。それにより、もみじ園に来た人が高橋九郎の興味を持って、他に何かやったのか、それは越路のどこにあるのかと更に興味を持ってもらえれば、神谷、そして越路全体に対しても良い事だと考えました。

歴史を研究しているのは、どれくらい前から、またどの様な方がメンバーなのですか。

高橋区長:ざっと言いますと、歴史・文化の会という規約を作ったのが平成21年。総会をその年に行っています。

神谷文庫 カレンダー

丸山さん:団体として平成22年の3月から4月で申請して、それで助成金を使って神谷の歴史などをテーマにしたカレンダーを作ったりしました。

高橋区長:メンバーの人数でいうと、平成24年の人数ですが、この時は32人ですね。

丸山さん:基本的には、神谷の歴史を残そうというのがスタートだったので、最初は助成金をもらってという感じではありませんでした。

高橋区長:高橋九郎さんの高橋家そのものがなくなるということもありまして。それがきっかけで、今までの歴史の写真など行方が分からなくなったりはしないかと。それを防ぐ為に、まずはそれを集めようと。およそ600枚位ですかね、それを全てデータ化しました。

昔の古い感じの写真しかないのですが、ところが画素が良いというか、データ化しても綺麗に見られます。

丸山さん:カラーだと粗くて。白黒のほうが綺麗なのです。

神谷の歴史

高橋区長:区事務所にあるカレンダーも、そこから作った物です。これだけ良い写真が沢山あるから、これを活かしてカレンダー作ろうと、申請の件も含めて取り組みました。カレンダーは3年間に渡って作りました。2012年から2014年の間で。それをあちこち配るなどして。市長に会ったり、農協に行ったり、銀行に行ったりと。

高橋区長:写真を集める時には回覧板などで公(おおやけ)にお願いしました。貸していただきたいと。写真を借りてスキャナーで撮って、またお返しして。それで600枚位集まりました。明治の頃から昭和40年位までの写真を限定して集めたのです。昭和40年過ぎると皆さんがカメラ持つので、その前の時代の写真は珍しいだろうということでね。

地域の皆さんが古い写真をきちんと保管されていたのですね。

高橋区長:回覧板まわした他、老人会の会合があるとお願いして。担当のメンバーを決めて、君はここ、君はそこと担当を決めて。借用書もしっかりと作って。30数名いますので精力的に動けました。今でも声かけてぱっと10人位は集まりますからね。

凄いまとまりがあるのですね。

高橋区長:看板作るのも結局そのまとまりの良さでできたのかなと。思っていてもできない。ですから、この看板は君達の担当だということで2、3人決めて、まずは文章づくりからデザインまで全部。これを組で考えてやって欲しいと。こういう方法で各々作成案を練って、最後に全員で検証して、この形にしていきました。

高橋九郎業績巡り案内板

神谷信用組合神谷信用組合

なるほど。看板を見て回った時にそれぞれ少しテイストが違うというか、図がいっぱいある物だとか、文章で纏めたり箇条書きだったり、個性があるなと感じました。

小森さん:担当した人のその思いでまとめてもらったので。だから個別に違いますけど、でも言いたいことは同じで皆で合意した上でつくる方法で。

集まって何かやりましょうという話にはなりますけど、それを個人が責任を持ってやり抜く事はなかなか難しいと思います。

高橋区長:そうですね。ですから、この取り組みは4月に入ってすぐ、助成が決まって直ぐに動き出さなきゃという話から始まって、その時に11月11日に立てる様に頑張ろうと皆で決めたわけですよ。看板を立てたらお披露目しようと。更にはその日に講演会もやろうと目標を定めました。

神谷区は様々なチャレンジをしてきた土地だというお話を各所からお聞きしていました。この取り組みもそうですが、伝統芸能も保存されているということで様々な事を一生懸命されているなと。神谷は昔からそういうまとまりがある、チャレンジする風土なのかなと。

高橋区長:ここ20年くらいが特にそうかも知れませんね。

小森さん:この地域は高橋九郎さんの影響もあって、まとまりがあるのかなと。

高橋九郎さんの足跡を見たときに、新しくチャレンジをする事に加え、地域の為というのが必ずあって。今、地域を巻き込め、地元の人を巻き込めとよく言われるのですが、そういうことをいち早く実践した方なのだと感じて。

高橋区長:そうですね。農家・農業を近代的にしたいという信念があって、いわゆる地主・小作という関係に拠らずに共同稲作したり、土地の整理をしたり。そういうのを先頭に立って取り組んだ人で。

その取り組みの1つが気象の旗揚立て。これ電報で毎日やったわけですよ。新潟気象台から電報もらうだけでその頃の電報は5千円もするのですが、それをずっと続けた。私費を投じて皆の生活の為に色々な事を形にした。

それにしても、高橋九郎さんはどうしてそういう人物になったのかなと。そこまで献身的で私財を払ってまでして。

高橋区長:高橋家は岡村門左衛門が惨死されると岡村家の娘さんに婿を娶せたり、2代に渡りお嫁に嫁いだりして岡村家を支えました。そういう痛みがわかる力。それが高橋家の取り組みの元になっているのではと思います。

丸山さん:九郎さんが突然そうなったわけじゃないと思います。前の親の代からそういう流れがあってのことだと思いますね。この辺の地主さんってあまり農家に嫌われてない。地主にいじめられたという話は出てこない。

九郎さんの取り組みの姿勢自体が、いま自分たちが見習わなくてはいけない事を実際にやっていたのだなと。

高橋区長:残した言葉が「恒心より恒産を生ず」いわゆる物事に真剣に取り組む気持ちがあれば、仕事も産業もついてくる言うことです。多くの人達にこの言葉を知って欲しいなと。

最後に今後の取り組みについて、また、これからの世代の人へのメッセージをいただければ。

高橋区長、小森さん

高橋区長:今後の取り組みですが、越路の他の地域との連携を図れればと。例えば井上円了先生と高橋家との繋がりもあり、先ほどの岡村門左衛門についても大きな繋がりがある。そういう関係する地域の人達と何か立ち上げられたらという思いがあります。

丸山さん:他の地域でも新しい動きが始まると、私達の活動にも連携などにより広がりが出来るので嬉しく思いますね。

高橋区長:それからもみじ園。毎年8万人9万人来るわけですから、そのうちの1%でもいいから高橋九郎に興味持っていただいて、神谷や浦などを巡ってもらえたらと。そういう取り組みもして行きたい。

小森さん:高橋九郎さんや歴史の写真に関する取り組みで言えば、来年度はパネルの準備を進めたい。今もパネルはあるのですが、もっとしっかりと展示できるものを。パネルが常設できれば、もみじ園から神谷に来た人が、そこへ行くと高橋九郎の関連した写真が全部見られる様な感じに。

高橋区長:高橋九郎さんの取り組み、そして思いを広げたい。ついては、パネル展示と学生さんに作ってもらった漫画をDVDにして各部署に配って宣伝していきたい。そんな話をしています。漫画の吹き出し部分にナレーションを付けて、その絵にプラスしてもみじ園をドローンで撮って。そういった色々なものをはめ込んでみようかなと。

長岡市にとってもこの神谷・越路地域は今後とも発展していかなければいけない。その為に具体的に活動をしていきたい。例えば左岸バイパスが通るという話がありますけど、ただ通り過ぎないように地域を上げて何とかしようと。活動を繋いでいく部分では、お陰様で歴史・文化の会は若い人も入っていますので心強いです。

丸山さん:長岡市は歴史的なところがいっぱいあるので。歴史的・文化的なところにはもっと目を向けても良いかなと思います。それを観光などに繋がる様に。周りのストーリーなども含めて見せていけたら良いのではと思います。

高橋九郎業績巡り案内板

案内板設立記念セレモニーの様子

高橋九郎翁史蹟巡りマップ

高橋九郎翁史蹟巡りマップ

高橋九郎物語

漫画 高橋九郎物語

高橋九郎物語

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