広川広四郎の碑 1864年~1896年 広川甚左衛門とちやの次男として飯塚村に生まれ、15歳で長岡中学に入り、24歳で大学院終業まで首席で通した。 逓信省鉄道技術の任に着き、東京中央停車場(現東京駅)建設計画に着手直前、病に倒れ急逝した… 続きを読む
七里恒順の碑 1835年 本願寺派明鏡寺に生まれ、11歳で出家し、14歳で僧朗勧学の門に入ったといいます。明治の名僧。福岡市博多区祇園町にある、浄土真宗普賢山「萬行寺」を代表する名僧となる。七里恒順和上(号は松花子) 続きを読む
佐藤三吉の銅像 1856年2月21日~1936年1月25日 釜ヶ島佐藤長右エ門の次男として出生。35歳で東京に移り汁粉屋「梅村」を創立、成功し私財を基に財団法人養誠会を起こし教育福祉・自治・産業振興・公益事業に助成した。 銅像は釜ヶ島光… 続きを読む
岡村権左衛門の碑 1755年~1792年 江戸時代後期の農民。新潟県三島郡浦村の組頭。幕府領から長岡藩領への編入による増税に対し、寛政3年近郷9か村を代表して代官所に訴状を提出。首謀者として強訴の罪により寛政4年8月25日処刑された。享年… 続きを読む
大平与文次の墓 1839年~1896年 新潟県三島郡越路町浦出身。明治の文化人。「越佐毎日新聞」を発行。後に「温古談話会」を設立し、越後郷土史「温古の栞」第1編を発行、3年で36編を発行した。 続きを読む
井上円了の碑 1858年3月18日~1919年6月6日 越後長岡藩(新潟県三島郡越路町浦)にある真宗大谷派の慈光寺に生まれる。 多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、後の東洋大学となる哲学館を設立した。 1957(昭和32)年に… 続きを読む
松尾神社 明治16年(1883)に東谷の松尾神社に奉納された酒造図絵馬(絵師は不明) 大きさは、縦121cm、横303cmで、面右下に世話人2人と29人の奉納者名が記され、酒を商う店、酒米を貯蔵する蔵、酒造り工程等が生き生きと描か… 続きを読む
から傘連判状記念碑 寛政元年に渋海川の水争いによる村替えで、新たに長岡藩領となった9か村は大幅に増えた年貢に苦しみました。 新領9か村の組頭は、山屋の三滝に集まり減税嘆願の密議を行い、廻り連判状をつくって死を天神地紙に誓い合い願意を固め、厳… 続きを読む