から傘連判状記念碑

寛政元年に渋海川の水争いによる村替えで、新たに長岡藩領となった9か村は大幅に増えた年貢に苦しみました。
新領9か村の組頭は、山屋の三滝に集まり減税嘆願の密議を行い、廻り連判状をつくって死を天神地紙に誓い合い願意を固め、厳しい年貢の取立てに苦しむ農民を救うために領主牧野氏に直訴しました。
これにより、頭取である岡村権左衛門が死罪となるなど多くの役人が厳しく処罰されました。このとき岡村権左衛門は「全ての責任は自分一人にある」と他の者の罪が軽くなるよう頼んだといわれています。
岡村権左衛門の死をもっての嘆願で、年貢の負担は少なくなりました。
1895(明治28)年に遺徳をしのぶ碑が建立され、また1963(明治38)年、幾回となく協議の場所となった山屋の三滝に「から傘連判状記念碑」が建立されました。

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